これまでの「時々コラム」を保存したアーカイブです。


★ 2021年1月23日掲載
感染抑止の裏で危ぶまれる人権
    2021年1月21日、新型コロナウイルスの爆発的な感染拡大を受けて、政府は、特別措置法と感染症法の改案を閣議決定しました。
    法案の要旨は、営業時間の変更など法に対して応じなかった事業者や、入院拒否をした患者に対して刑事罰を伴うとした改案です。

    これらの法案は、現時点ではまだ国会審議へ経て成立していませんのであくまでも法案という段階ではありますが、短慮としか言いがたいタイミングで法制化しようとする人たちの真意が計り知れません。
    急速に拡散する感染対策として、窮余の一策とも考えられなくもありませんが、よくよく考えてみるとこれはあまりにも前時代的な抑止力を前提とした法案ではないかと思われます。

    古くは明治初期、コレラ感染者を強制的に隔離した強権発動はすでに遠い昔の出来事と忘れ去られているかも知れませんが、つい最近まで訴訟でニュースになっていたハンセン病患者の強制隔離と人権侵害、その後の差別や偏見の歴史を思い起こしてください。

    「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟(ハンセン病家族国家賠償請求訴訟)」は、ハンセン病家族が国に対して損害賠償を求めて争ったもので、裁判所は国の隔離政策などの違法性(憲法違反)を認めて国に賠償を命じています。

    それらと今回の新型コロナウイルス問題とどこが違うと言えるのでしょうか、すでに克服された感染症と未知なる感染症の違いでしょうか。しかし、明治のコレラも、昭和のハンセン病も、当時としては感染対策として最良かつ最強の施策(強制隔離など)として実行されたはずです。
    それが有効であったかどうかは別として、非科学的、非医学的な判断基準が用いられたり、ともすれば恣意的であったり、人としての公平性を欠き、甚だしい人権無視が伴ったのは事実です。

    刑事罰を伴う法案を閣議決定した政府は、もしかすとこれが新たな訴訟の端緒となり、将来、憲法違反を問われることになるかも知れないということを十分に理解しているのでしょうか。
    ある大臣は、国民への追加救済給付という問いに対して、「将来にツケを回すのか」とも言ったと報じられています。では、「憲法違反」というツケは将来に回してもよいというのでしょうか。

    人々の日常を隔離し、取り上げ、それに従わない者に刑事罰を科すという「脅しや鞭」は、疲弊した国民に対して逆効果しか得られないでしょう。そして、有効なワクチンを除けば、これ以上の感染拡大を防止できるカンフル剤施策などはどこにもありません。
    必要なことは、全ての人が助け合い、協力しあえる環境を一つ一つ整えていくことです。
    幸いにも、いまの日本にはそれを実行するための国から地方へと広がる行政というヒエラルキーはすでに整っているはずです。
  2021/01/23

★ 2021年1月15日掲載
コロナ禍にあっても進まぬDX化。
    昨年末から正月後の現在、日本列島は厳しい寒波に襲われています。数十年に一度とも報じられているこの寒波、昨夏の猛暑も帳消しになるほどコロナ禍ですっかり悴んだ心身にジワリと堪えます。

    コロナ禍といえば、いま第三波の山を迎えていて、この後、感染爆発という悍ましい不安が頭をもたげます。緊急事態での自己制御を個々がどこまで実行できるか、頼みのワクチンが間に合うか、いかにも心細い限りの現状です。

    我が国は、このような際どい状況の真っ只中にありますが、こうした感染拡大を初期段階で押さえ込み、いまもその効果を堅持している国があります。それが、日本同様に海で囲まれた台湾です。
    すでにご存知の方も多いと思いますが、台湾がコロナ感染の拡大抑止に功を奏した理由のひとつとして、行政はもとより、企業や市場など経済活動においてDX(デジタルトランスフォーメーション)化が進んでいることが挙げられます。

    対して、日本の今はというと、二度目の緊急事態宣言が発出された後も、都市圏の通勤電車は満員の乗客で従来のラッシュアワー風景とあまり変わらず、繁華街の人出は多少減ったというものの、駅前交差点は多くの人々が行き交っています。
    マスク姿で黙々と歩く人からは、「テレワーク? そんなの一部だけだよ」そんな声なき声が聞こえてくるようです。

    一部の職場を除けば、多くの職場では、依然としてDX化は希薄です。従前の業務をデジタル化することは不可能という概念が定着しています。
    例えば、書類としての紙の存在を欠かすことはなく、特に押印された書類は重用されています。そのため、ワーカーたちは、書類を巡って常に実動を強いられていますが、これを電子データに置き換えようという試みはいまだ結実していません。
    また、人と人が相対することがビジネスの基本的スタンスであるという考え方においても頑なで、電話やメールで情報交換をしても、必ずどこかのタイミングで相対することが重要かつ必然であるとも確信されています。

    患者や介護対象者など相対が不可避と思われる医療従事者や介護従事者といったクリティカルワーカーであっても、デジタル技術によって従来の接触機会を最大限減らすことが可能とも言われている現在にあって「なぜ、できない?」という疑問が湧いてきます。

    理由は、設備投資への躊躇い? 旧態固執の経営体質? 色々と憶測されますが、もっとも現実的に考えられるのが、確立されてきた既存の構造(アナログだけでなく、これまでのデジタルも含めて)が、磐石と信じ込まれていることにあります。
    確かに、長い時間と労力を投じて確立されてきたものは簡単には変えられない、そう思われるのは至極当然のことだと思います。
    しかし、未曾有の世界的危機に際しては、持続可能のために変えなければならない、よりよい選択を模索していかなければならない、それが今のタイミングとして取り組むべきDX化ではないでしょうか。

    コロナウイルスによるパンデミックは、誰もが経験し得ない未知のリスクが潜んでいるということを実感させられました。そして、そうしたリスクは、いつでも何度でも起きるということも想像に難くないのです。地球温暖化による大災害、地殻変動による大地震、核戦争、巨大隕石の衝突など危機の存在は常に潜んでいます。
    リスクとの遭遇とその影響に比べたら、DXへの取り組みなどは実に身近で細やかな一歩にすぎないと言えるのではないでしょうか。
  2021/01/15

★ 2020年10月22日掲載
オールデジタルは万能か?
    2020年の春以降、新型コロナウイルスによるパンデミックを境に、世界中でデジタル化への舵取りが加速しています。
    その代表的な先進概念のひとつが、先にもご紹介したDX=デジタルトランスフォーメーションです。
    しかし、デジタル化だけで、パンデミックの危機は解消されるのでしょうか?
    人的交流の遮断によって低落した経済活動の復活に、デジタル化でどれほどの効果が望めるのでしょうか?
    デジタル化によって、多くのメリットがもたらされることは確かではありますが、日々の生活はもちろんのこと労働環境においても、人間行動の全てをデジタル化によって代替できるものではありません。
    社会全般にデジタル化が進む反面、デジタルとは真逆の労働環境を構築するクリティカルワーカー(エッセンシャルワーカー)の存在はいっそう高まると思われます。
    デジタルは人と人を繋ぐコミニュケーションのための効率的な手段ではありますが、それは人にとって代わるものではありません。
    真に人に必要な問題と向き合い、そこから未来を開くのは、デジタルではなく人であり、人の意思と行動が欠かせないのです。
    このことは人類史上において、未来永劫にわたって不変でもあります。
  2020/10/22

★ 2020年10月3日掲載
変革のとき
    最近、よく見聞きする言葉に「DX」というのがあります。DXは、昔なら「デラックス(豪華・高級)」と解されるかも。しかし、現在のDXは、「デジタルトランスフォーメーション」のことです。
    DXは、スウェーデンのウメオ大学教授のエリック・ストルターマン氏が2004年に提唱した「ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる」とした概念です。
    16年も前に示されたDX概念が、いま再び注目されている背景には、世界をパンデミックの危機に陥れた新型コロナウイルスと関係があります。例えば、仕事の現場では、接触感染を防ぎながら事業活動を持続していくため、働き方改革への取り組みとして試行されていたテレワークの導入が一気に加速しています。
    広く社会全般においても、ソーシャルディスタンス対策としてITやデジタル技術の活用を進展・普及させ、問題解決やリスク回避を行う取組みの導入と実施が必須となっています。
    有史以来、人類は常に様々な変化に遭遇し、生き残るための変革を選択してきました。奇しくも今日の新型コロナウイルスによってもたらされた新たな変革の選択こそがDX=デジタルトランスフォーメーションであり、これはアフターコロナの世界においての不可逆性の選択でもあります。
    2020/10/3